もしも彼女が「バトル・ロワイアル」に感化されただけなら。

そんな熱病のような殺意はすぐに覚めてしまったかもしれません。

彼女がネットの内外で誤解されているような、利己的な毒舌家であったなら。

「何もかも嫌になった」

というところまで自分を追い詰めてしまうこともなかったに違いありません。

やはりよく思われているような、何か言われるとすぐカッとなる様な激情屋ででもあれば。

いっそそうであってくれたら。

今となっては悲しいばかりの生真面目さで、確かに殺せる方法を4日にわたって考え続けたりはせず、最悪の事態は避けられたかもしれません。




2004年6月1日。
長崎・佐世保、大久保小殺人事件。

我々と同じカフェスタの会員でもあった11歳の女の子は、なぜ凶刃をふるわなくてはいけなかったか。

跳び箱が苦手でした。
それでも、何度でも挑戦する子だったといいます。

バスケをやめさせられた時も(内心の鬱屈はあったようですが)、親に反発する前に、学校の先生の手伝いを積極的にこなして、点数稼ぎをねらうような子でした。

前向きな努力家でした。

そんな彼女が、

「もう殺すしかないと思った」

とまで思いつめたのは、我々から見るといかにも短絡的で...... いえ、事実彼女の選択は最悪でした。

しかし、やはりきっと、彼女がそこにたどりつくまでには、よくよくのことがあったのだろうと思います。
被害者の御手洗さんを悼む気持ちはもちろんあります。
その上でなお、やはり、そう思います。

6月1日という日を、橋川はけして忘れません。

本が好きな子でした。
パソコンが好きで、絵が好きで、バスケが好きでした。

下品なことや、不潔なこと、失礼なことは、ちょっと意固地なくらい、大嫌いでした。

不平や不満を口にできない子でした。
弱音をはけない子でした。
人の善意には素直な子でした。

飼い猫の虚勢手術の費用を、自分のお小遣いから出すような子でした。

不幸なめぐりあわせの末、とりかえしのつかない間違いをしてしまった、そんな可愛そうな11歳の女の子のことを、忘れません。

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