少年法に対する橋川の見解は、前にこの日記で書いた。
「少年」とはいわば責任能力を全否定され、法的に責任を問われないかわりに、参政権や財産権の面で権利を制約された存在なのだ、と。

現実にある「少年」が残虐な事件を引き起こしたからと、即座に少年法改正という方向にむかうのは違う気がする。
「少年」に刑事罰を課すことができる法改正をおこなうなら、今ある権利の制約のいくつかは確実に解除されないといけない。
そうでないと理屈があわない。

「一生かけて罪をつぐなって欲しい」

という被害者遺族の気持ちは正直なものだろう。
それは判る…… などと、橋川あたりがしたり顔で言おうとは思わないが。

「一生」の重みはやはり、成人と「少年」とでは違うはず、と思う。

被害者と同じように、加害者が無限であったはずの未来を剥奪されたら、満足ですか?

「少年」犯罪にも刑事罰が必要というなら、それはむしろ「少年」たちの監督責任者たちに課されるべきじゃないかと思う。
社会的、法的に、責任を負っているのは、彼らの方であるはずだから、その方が理屈にあうはずでしょ?

前に書いたことを。
前に、この日記で、未成年者たちにむけて書いたことを、もう一度書いておく。

君たちは、法的に責任能力を全否定された存在なのだということを忘れないで欲しい。
法的に裁かれないというのは、権利ではなく、むしろ権利を制約する代価なのだ。
本来君たちが負うべき責任は、君たちの周囲の大人たちが負っているのだということは、知っていて欲しいのだ。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索