昭和43年11月12日、ひとりの青年が屋台の飲み屋で自棄酒をあおっていた。
近鉄ファンだという屋台の主がつけたラジオから、この日行われたプロ野球ドラフト会議の結果を伝えるスポーツニュースが流れていた。

「東映、大橋譲、亜細亜大学。広島、山本浩二、法政大学。阪神、田渕幸一、法政大学……

「南海、富田勝、法政大学。サンケイ、藤原真、金鐘紡。東京、有藤通世、近畿大学……

「中日、星野仙一、明治大学。阪急、山田久志、富士鉄釜石。西鉄、東尾修、箕島高……

「近鉄、水谷宏、金鐘紡。巨人、島野修、武相高校。大洋、野村収、駒沢大学……」

のちに「史上最大のドラフト」と呼ばれることにもなるこれらの名を、自らの不成績を嘆く酒の肴に聞いていた、当時ノンプロの北大阪電気の選手だったこの青年。
やがて南海ホークスへドラフト外で入団、代打の切り札として活躍、ダイエーホークスとなってからは不動の4番ともなり、三冠王も獲得する。

景浦安武である。

「ジョー&飛雄馬」発売日。
「巨人の星」の方で描かれた金田引退会見は、上述の「史上最大のドラフト会議」からちょうど一年後の44年11月。

さらに言うならこの44年、例の「黒い霧」事件が発覚、そして「日本プロ野球の父」正力松太郎氏逝去。

400勝投手金田の退場は球史の一大転機とシンクロしていた。

金田正一という人の現役時代を、当然橋川などはリアルタイムでは知らない。
沢村栄治、スタルヒンらと同じ、伝説中の人物である。
だが、今に語りつがれるその「伝説」の数々がまたすさまじい。

個人的に好きなのが、国鉄の同僚・宮地推友が完全試合を達成したときの逸話。
当人にけして快挙を意識させまいと、国鉄ベンチ中が無口になっているさなか、ただひとり、
「いっちょねらったれ!」
とおおっぴらに言い放ったのが金田だったそうな。
翌年には自ら史上4人目の完全試合を、没収試合寸前の騒乱の中で達成することになる、彼ならではの……いっそ無神経なまでの大胆さと言えるだろう。

梶原一騎は、ONや川上よりむしろ、金田に思い入れのあった人じゃないかと思う。
この金田引退会見のくだりは、試合のシーン以外では「巨人の星」屈指の名場面になっている。
数々の大記録を打ち立てた左腕が、まっすぐのばすこともかなわないほど披露しきっているのを知り、
「これこそが黄金の左腕だ!」
と主人公・飛雄馬は感嘆し、いつか自分もあのように、と決意するのだが、やがて彼もまたその左腕を(金田とは違う形で)酷使しつくすことになる。
それを知って読むと、また深いシーンである。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索