「跡部が水着に着替えたら?」
2003年3月20日「俺様のビキニに酔いな」
……一体何を書いているのだ、俺は。
冗談さておき、開戦。
これがなければ、「春高バレー開幕! 長身スポーツ美少女萌え〜♪」とかいう日記になってたはずなんだけどねぇ。
18日のブッシュ大統領の演説について、テレビであるコメンテイターが、
「西部劇の保安官のセリフのようだ」
ということを言っていた。
「俺は悪と戦うぞ、勇気のある者はついてこい、と必死で叫んでるように聞こえる」
と。
橋川は少し違う印象を持った。
保安官というより、ガンファイター。
因縁の宿敵と決着をつけるため、村中から引き留められるのも振り切って、決闘に赴こうとする孤高の勇者のイメージ。
彼は勝負に勝つのだ。
主人公だから。
でもきっと彼自身、もう自分たちの時代は終わりだと、終わりにしなくてはいけないのだと気付いているのだ。
ガンファイトでの生き死にで全てが決まるような時代が、いつまでも続いてはいけない、と。
そして彼は、必死で引き留める少年の声に背をむけ、夕陽の沈む地平線に愛馬を走らせるのだ。
格好良いなぁ。
西部劇だったら、それで済むんだけどねぇ。
バグダット空爆の映像を見ていて、ちと悲しくなった。
むこうはじゃんじゃん飛行機飛ばして爆弾落として行くのに、自分たちには迎え撃つ飛行機もなく、ビルの屋上から機関砲で応戦してるってんだから。
きっと何十年か前の日本が、こんな感じ。
戦闘とももう呼べない代物。
こんな光景を、一体誰が望んだというのか。
ひとりの男の権力への執着が導いた結果だとしたら、これは一体悲劇か喜劇か。
昔も今も「世界の警察」を自認して立つアメリカ合衆国も、とうとう国際世論という名の「シェリフのバッジ」を投げ捨てて私闘に走ってしまった。
悪漢から村を守り抜いて、喝采をもって迎えられる保安官では、きっともういられない。
孤高のガンファイターは、それこそ西部劇でだったら、「カムバック!」の声を背に走り去れば良いのだろうけど。
さて。
ちなみに、映画「シェーン」のラストシーン、ジョニー少年の
「シェーン、カムバック!」
があまりに有名だが、よくよく観ると、馬上うずくまるシェーンの顔色は土気色に染まり、手綱をにぎる力もなくだらりと垂らした左手が、かなり強烈に「死」をイメージしていた。
感動の名シーンにカモフラージュして、西部の一時代の終焉が表現されていたのだと、現在では評価されている。
ジョニー少年を演じた子役俳優はその後若くして亡くなり、シェーン役のアラン・ラッドもその後(この映画のイメージが強すぎたせいもあって)役者としては不遇だった。
……一体何を書いているのだ、俺は。
冗談さておき、開戦。
これがなければ、「春高バレー開幕! 長身スポーツ美少女萌え〜♪」とかいう日記になってたはずなんだけどねぇ。
18日のブッシュ大統領の演説について、テレビであるコメンテイターが、
「西部劇の保安官のセリフのようだ」
ということを言っていた。
「俺は悪と戦うぞ、勇気のある者はついてこい、と必死で叫んでるように聞こえる」
と。
橋川は少し違う印象を持った。
保安官というより、ガンファイター。
因縁の宿敵と決着をつけるため、村中から引き留められるのも振り切って、決闘に赴こうとする孤高の勇者のイメージ。
彼は勝負に勝つのだ。
主人公だから。
でもきっと彼自身、もう自分たちの時代は終わりだと、終わりにしなくてはいけないのだと気付いているのだ。
ガンファイトでの生き死にで全てが決まるような時代が、いつまでも続いてはいけない、と。
そして彼は、必死で引き留める少年の声に背をむけ、夕陽の沈む地平線に愛馬を走らせるのだ。
格好良いなぁ。
西部劇だったら、それで済むんだけどねぇ。
バグダット空爆の映像を見ていて、ちと悲しくなった。
むこうはじゃんじゃん飛行機飛ばして爆弾落として行くのに、自分たちには迎え撃つ飛行機もなく、ビルの屋上から機関砲で応戦してるってんだから。
きっと何十年か前の日本が、こんな感じ。
戦闘とももう呼べない代物。
こんな光景を、一体誰が望んだというのか。
ひとりの男の権力への執着が導いた結果だとしたら、これは一体悲劇か喜劇か。
昔も今も「世界の警察」を自認して立つアメリカ合衆国も、とうとう国際世論という名の「シェリフのバッジ」を投げ捨てて私闘に走ってしまった。
悪漢から村を守り抜いて、喝采をもって迎えられる保安官では、きっともういられない。
孤高のガンファイターは、それこそ西部劇でだったら、「カムバック!」の声を背に走り去れば良いのだろうけど。
さて。
ちなみに、映画「シェーン」のラストシーン、ジョニー少年の
「シェーン、カムバック!」
があまりに有名だが、よくよく観ると、馬上うずくまるシェーンの顔色は土気色に染まり、手綱をにぎる力もなくだらりと垂らした左手が、かなり強烈に「死」をイメージしていた。
感動の名シーンにカモフラージュして、西部の一時代の終焉が表現されていたのだと、現在では評価されている。
ジョニー少年を演じた子役俳優はその後若くして亡くなり、シェーン役のアラン・ラッドもその後(この映画のイメージが強すぎたせいもあって)役者としては不遇だった。
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