「ボクっ娘……」
2002年12月10日時々、自分でも意味わからない独り言を言ってしまうことってありませんか?
「よし!」と言ったあと、「何がだよ!?」と思ってみたり。
そんな感じに、今日不意に、まったくの無意識で、橋川の口をついて出た一言が、タイトル↑のコレ。
疲れてんのかな、俺?
つーか、仕事中だったし。
お客さんに聞かれたかも、いや、もろに聞かれたって、ぜってー。
ま、それはさておき。
上のような話題に続けて良いものかどうか判らないけど、訃報。
巨人の第2次黄金時代に貢献した名二塁手、千葉 茂氏が亡くなった。
83才。
初代三冠王の中島康治の次、そして長嶋茂雄の前の巨人の背番号3である。
以前何かの番組で、
「俺は20世紀最高のスポーツマンに背番号を譲ったんだ」
と誇らしげに語っていた姿を思い出す。
犠打と右打ちの名人だった。
ショートが二塁ベースを超えて右よりに守ったという逸話もあり、後の「王シフト」の原型である。
「いつでも右に打てる俺に、どうして送りバントなんだ」
と愚痴りながらも、チームバッティングに徹し、水原監督指揮下の覇権を支えた。
水原の後任の監督として、川上哲治と並ぶ有力候補だったが、泥仕合を嫌って近鉄へ。
「俺からテツへの犠牲バントさ。俺は選手時代からそれが仕事だった」
という泣かせるセリフが伝わる。
「(同期入団の)昭和13年組も、あと私ひとりか」
という川上氏の談話が胸にしみた。
冥福をお祈りいたします。
「よし!」と言ったあと、「何がだよ!?」と思ってみたり。
そんな感じに、今日不意に、まったくの無意識で、橋川の口をついて出た一言が、タイトル↑のコレ。
疲れてんのかな、俺?
つーか、仕事中だったし。
お客さんに聞かれたかも、いや、もろに聞かれたって、ぜってー。
ま、それはさておき。
上のような話題に続けて良いものかどうか判らないけど、訃報。
巨人の第2次黄金時代に貢献した名二塁手、千葉 茂氏が亡くなった。
83才。
初代三冠王の中島康治の次、そして長嶋茂雄の前の巨人の背番号3である。
以前何かの番組で、
「俺は20世紀最高のスポーツマンに背番号を譲ったんだ」
と誇らしげに語っていた姿を思い出す。
犠打と右打ちの名人だった。
ショートが二塁ベースを超えて右よりに守ったという逸話もあり、後の「王シフト」の原型である。
「いつでも右に打てる俺に、どうして送りバントなんだ」
と愚痴りながらも、チームバッティングに徹し、水原監督指揮下の覇権を支えた。
水原の後任の監督として、川上哲治と並ぶ有力候補だったが、泥仕合を嫌って近鉄へ。
「俺からテツへの犠牲バントさ。俺は選手時代からそれが仕事だった」
という泣かせるセリフが伝わる。
「(同期入団の)昭和13年組も、あと私ひとりか」
という川上氏の談話が胸にしみた。
冥福をお祈りいたします。
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