バッティングセンターがあるんだったら、センタリングバッターがあっても良いんじゃないかと思う今日このごろ。

思わねぇよ。

さわやかな陽気の下、せまっくるしいケージの中で、30球ほど打つ。
絶好球と思って振ると、バットの根本で打ってしまうので、半歩ほどベースから離れて打ってみると、自分のスイングが出来ない。
俺にどうしろというんだ。

訳あって、「ベースボールマガジン」の今年分のバックナンバーを、図書館で借りてきた。
その中の「夏季号」の「ユニフォーム&背番号」特集が面白い。
長嶋の前に巨人で3番を背負っていたのが千葉 繁だったのは知っていたけど、そのさらに前が初代三冠王の中島治康だったとは。
逆に「巨人の背番号3」はこの3人だけで、
「巨人の3番は、長嶋のというより、中島、千葉、長嶋の3番、とするべき」
という主張には、おおいに納得。

で、何となく出題ですが、王 貞治のすぐ前の「巨人の背番号1」は誰だったでしょう。
答えは明日。

先日、隔週刊「ジョー&飛雄馬」を読んだら、二軍選手として入団したての飛雄馬が、同じく二軍の背番号55の選手とからむ場面があった。
50番代は二軍の背番号、という時代のことだが、現在の巨人の55番は、言うまでもなく三冠王目前の松井秀喜(打率は福留と熾烈な争いになっているんだけど)。
来年FAでメジャー行きを選択しなければ、将来の永久欠番はほぼ当確であろう。
16番と55番、両世紀にまたがる巨人軍の4番バッターの背番号が、二軍グラウンドで邂逅した瞬間だった訳だ。

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