実際、酒に弱くなってるかな、と感じる。
年のせいとは思いたくないなぁ。

酒量を減らして、と考えたらその時はバットを置こう(バット?)。

古本屋で水島慎司の「極道くん」がそろっていたので、何となく立ち読み(買えよ)。
橋川の知るかぎり、少年マンガ史上もっともリアルな「魔球」が出て来る作品である。
一見ただのゆるいストレート、それが何故か打者の手前で落ちる。
シンカーでもフォークでもなく、握りも回転もストレートのそれでしかないが、落ちる前に打とうとすれば打席から足を踏み出してしまうほど、確かに落ちる。
はたしてその正体は……!? とさんざ振っておいて、そのオチがあれだから、水島野球マンガは侮れないんだよなぁ。

作中、現・西武の山田が明訓時代に定宿だった芦屋ホテルに寄贈したサインが出て来たり、岩田鉄五郎がさりげなく甲子園のスタンドに来ていたり、時代考証のパラドックスもふっとばすクロスオーバーっぷりもいかす。

W杯で、韓国戦の審判をめぐって、あれやこれや書かれている記事を、いくつか読んだ。
今回、特に初の自国開催で、またベスト16入りも果たしたから、そういう情報も日本に入って来るんだろうなぁ、と思う。
これまでも多かれ少なかれ、あるにはあったことなんだろうけど、ある意味日本には「他人事」だったから。

サッカーというのは、あえて公式ルールを最小限にしぼり、試合進行の全権を主審にゆだねているスポーツなのだから、あとから(特に負けた方が)とやかく言うのは、どうかなぁ、とやっぱり思ってしまう。

誤解を恐れずあえて言えば、人間がジャッジング、レフェリングしている以上、誤審てのはけしてなくならないだろう。
が、強い者が誤審に泣いて負けてしまうことがあったとしても、弱い者が判定の後押しで勝ってしまうということはない。
……と、思う。
……そう信じたい。

誤審が勝敗を左右するほど実力拮抗だったとしたら、それは結局どちらが勝っても良い勝負だったのだ、と。

そして、本当に強い者というのは、誤審に泣かされることがあったとしても、結局最後には勝つものだと。

有名な、昭和55年9月場所7日目、高見山と貴ノ花(初代)の一番。
土俵際、小手投げと下手投げの打ち合いで、軍配は貴ノ花、しかしビデオ判定の結果、わずかにまげが先についていたとして、行司差し違い、高見山の勝利となった。

ちなみに、相撲勝負規約には、相手が倒れる瞬間にマゲがわずかに先についたとしても、負けにならないとする条項があり、厳密に言えばこれは誤審、というよりルールの適用ミスである、と今も識者は指摘する。

それはさておき、勝負後、引き上げて来た貴ノ花に、あるスポーツ記者が、
「マゲがなかったら勝ってたのに……」
と言ったのに、この名大関はタイトルのように答えたと伝わる。

勝負に生きるものには、このくらい潔くあって欲しいのだけど、これはやはり日本人的価値観なのかなぁ。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索