言ってしまえば、古代エジプト史上、もっともどうでも良いファラオのひとりである。
あまりに幼くしての即位と、やはり早すぎた崩御で、
「何らかの陰謀に巻き込まれたのでは?」
とロマンティシズムを刺激する要素はふんだんにあるが、現実的には、その短すぎた在位中に特に画期的な施政があった訳でもない。
公式の歴代ファラオの系譜からその名が漏れてしまっていた時期もある。
というより、だからこそ他のほとんどのファラオが免れ得なかった、盗掘者たちの魔手から逃れ、その埋葬品のほとんどがほぼ完全な形で残されることにもなったのだ。

こういうことを書くのは、もちろん今日の「009」を観たからである。

作中、ギルモア博士の友人である医学博士が、有名な「ツタンカーメンののろい」を偶然と笑い飛ばすくだりがある。
作中で指摘されている通り、出資者であるカーナボン卿がまっさきに呪われ、現場の総指揮者だったカーター博士が65才まで長生きしたのは、おかしい。
さらに言うと、発掘作業期間の大半、カーナボン卿はイギリスに帰国していたのである。

まぁ、王の玄室の扉をその手で開いたのは、カーナボン卿だったじゃないか、と言われれば、それはその通りだが。

もうひとつ言えば、カーナボン卿の直接の死因はエジプト特有の伝染病であって、これ自体に不思議なことなど何もないのだよ(何故か京極堂口調)。

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