「完璧な奴はいないなんて、誰が言ったんだ?」
2002年5月5日聞いた話である。
アメリカに70才まで生きて、たった一度しか野球を観たことのなかった男がいたそうだ。
「まったく退屈な試合だった、面白いことは何ひとつ起こらないんだ、しかし何故か観客はみな大喜びだった」
と、彼がのちに振り返ったそのたった一度だけ観た試合こそ、1956年10月10日、ドン・ラーセンによる史上初のワールド・シリーズでの完全試合だったのだという。
「完全試合」の話をしよう。
たまたまテレビをつけたら、広島と阪神の試合をやっていた。
夜勤にそなえて仮眠しないといけなかったのだが、広島の高橋投手が完全試合をやりそうだったので、そのまま見続けてしまった。
ヒット性の当たりがファインプレイに助けられたり、こういう時は案外「ある」のかも、と思ったのだが、「ここを乗り切れば」と期待した5回、つまらないエラーで初走者を許し、直後やはりリズムが狂ったか、阪神に初安打が出て、ノーヒットノーランもなくなったので、安心して寝ることにした。
あとで試合結果を見ると、完封はおろか負け投手になってしまったらしい。
ま、そんなものか。
ナイト・ゲーム(ナイターという言い方も聞かなくなったなぁ)の巨人−横浜戦は、巨人のこちらも高橋(尚成)投手が、6回まで完全だったそうだが、こちらは最初から観ていなかった。
完全試合を観たい、というのは橋川のちょっとした悲願になっている。
7年前、1995年5月18日の巨人・槙原の完全試合は、5回まで完全が続いていると聞いていながら、最後までは観なかった。
翌日が一限からの授業だったもので(当時まだ大学生だった)早く寝なくてはならなかったのだが、結果が判っていればそんなこと棒に振ってでも見届けたものと思う。
翌日、駅の売店でスポーツ新聞各紙の一面におどる「完全」の文字に、どれほど驚き後悔したか、筆舌に尽くしがたい。
同じ95年には、金沢高校の中野真博投手が春の選抜高校野球で史上二人目に名乗りをあげており、これも翌日ニュースで聞いて、しまったと思った。
偶然であろうが、選抜甲子園、プロ野球ともに、17年ぶりのことで、1978年の前橋高校・松本 稔投手、阪急・今井雄太郎投手が、それぞれ達成して以来のことだった。
橋川が密かに誇りにすることなのだが、ゲームでだったら実は4回ほど完全試合をやっている。
ベーシック時代のパソコンで一度。
スーパーファミコンで二度。
プレイステーションで一度(5回コールド)。
「完全」初体験時の、27人目をショートゴロに打ちとった瞬間の感動と、何しろ大昔の話とて、この快挙にも特別なイベントはいっさいなく、普通通りの試合終了画面でしかなかったことによる脱力、そして緊張の糸が切れた瞬間に訪れた、まさに性も根も尽き果てた疲労感、これは一生涯忘れがたい。
たかがテレビゲームでさえそうなのだから、実物の完全試合をなしとげた瞬間の投手の感覚というのは、どうなのだろうか。
こういうことを書くのにはもちろん理由があって、「今月の記念日」に5月分(http://www3.yomogi.or.jp/keihashi/memory/2002.05.html)を追加したからなのだった。
あのサイ・ヤングが、20世紀に入り、ピッチャーマウンドとホームベースの距離が現行のものに定められるなど、野球のルールが整備されて以降で初となる完全試合をなしとげたのが、1904年の5月1日。
1966年には、大洋の佐々木と西鉄の田中両投手が、2週間足らずの間にプロ野球史上8人目、9人目の名乗りをあげている(*)。
六大学野球初の完全試合が飛び出したのが、やはり5月。
他に、あの沢村栄治(**)やフォークボールの中日・杉下がノーヒット・ノーランをやっていたり、メジャーではレッズとカブスが両軍ともに9回無安打の空前の投手戦があったり、どうやら投手記録の当たり月(?)らしい。
よく橋川は「野球は1−0が面白い」ということを言うのだが、「完全試合」を観てみたい、という気持ちの延長線上にそれはあるような気がする。
(*)余談ながら、西鉄・田中 勉投手の名を、快挙の達成者として記憶している人も、少ないのではないだろうか。今では、日本プロ野球史を語るうえでその名が出るのは、もっぱら「黒い霧」事件の登場人物として、「幻の300勝投手」池永正明に、その野球人生を終わらせることとなる札束を手渡した男としてである。
(**)日本プロ野球史上最初のノーヒットノーランが沢村であるのは有名だが、二度目のそれも同じ沢村だったのは、案外知られていないのではないか。ちなみに、沢村以外で初となるノーヒッター第二号はスタルヒン。
アメリカに70才まで生きて、たった一度しか野球を観たことのなかった男がいたそうだ。
「まったく退屈な試合だった、面白いことは何ひとつ起こらないんだ、しかし何故か観客はみな大喜びだった」
と、彼がのちに振り返ったそのたった一度だけ観た試合こそ、1956年10月10日、ドン・ラーセンによる史上初のワールド・シリーズでの完全試合だったのだという。
「完全試合」の話をしよう。
たまたまテレビをつけたら、広島と阪神の試合をやっていた。
夜勤にそなえて仮眠しないといけなかったのだが、広島の高橋投手が完全試合をやりそうだったので、そのまま見続けてしまった。
ヒット性の当たりがファインプレイに助けられたり、こういう時は案外「ある」のかも、と思ったのだが、「ここを乗り切れば」と期待した5回、つまらないエラーで初走者を許し、直後やはりリズムが狂ったか、阪神に初安打が出て、ノーヒットノーランもなくなったので、安心して寝ることにした。
あとで試合結果を見ると、完封はおろか負け投手になってしまったらしい。
ま、そんなものか。
ナイト・ゲーム(ナイターという言い方も聞かなくなったなぁ)の巨人−横浜戦は、巨人のこちらも高橋(尚成)投手が、6回まで完全だったそうだが、こちらは最初から観ていなかった。
完全試合を観たい、というのは橋川のちょっとした悲願になっている。
7年前、1995年5月18日の巨人・槙原の完全試合は、5回まで完全が続いていると聞いていながら、最後までは観なかった。
翌日が一限からの授業だったもので(当時まだ大学生だった)早く寝なくてはならなかったのだが、結果が判っていればそんなこと棒に振ってでも見届けたものと思う。
翌日、駅の売店でスポーツ新聞各紙の一面におどる「完全」の文字に、どれほど驚き後悔したか、筆舌に尽くしがたい。
同じ95年には、金沢高校の中野真博投手が春の選抜高校野球で史上二人目に名乗りをあげており、これも翌日ニュースで聞いて、しまったと思った。
偶然であろうが、選抜甲子園、プロ野球ともに、17年ぶりのことで、1978年の前橋高校・松本 稔投手、阪急・今井雄太郎投手が、それぞれ達成して以来のことだった。
橋川が密かに誇りにすることなのだが、ゲームでだったら実は4回ほど完全試合をやっている。
ベーシック時代のパソコンで一度。
スーパーファミコンで二度。
プレイステーションで一度(5回コールド)。
「完全」初体験時の、27人目をショートゴロに打ちとった瞬間の感動と、何しろ大昔の話とて、この快挙にも特別なイベントはいっさいなく、普通通りの試合終了画面でしかなかったことによる脱力、そして緊張の糸が切れた瞬間に訪れた、まさに性も根も尽き果てた疲労感、これは一生涯忘れがたい。
たかがテレビゲームでさえそうなのだから、実物の完全試合をなしとげた瞬間の投手の感覚というのは、どうなのだろうか。
こういうことを書くのにはもちろん理由があって、「今月の記念日」に5月分(http://www3.yomogi.or.jp/keihashi/memory/2002.05.html)を追加したからなのだった。
あのサイ・ヤングが、20世紀に入り、ピッチャーマウンドとホームベースの距離が現行のものに定められるなど、野球のルールが整備されて以降で初となる完全試合をなしとげたのが、1904年の5月1日。
1966年には、大洋の佐々木と西鉄の田中両投手が、2週間足らずの間にプロ野球史上8人目、9人目の名乗りをあげている(*)。
六大学野球初の完全試合が飛び出したのが、やはり5月。
他に、あの沢村栄治(**)やフォークボールの中日・杉下がノーヒット・ノーランをやっていたり、メジャーではレッズとカブスが両軍ともに9回無安打の空前の投手戦があったり、どうやら投手記録の当たり月(?)らしい。
よく橋川は「野球は1−0が面白い」ということを言うのだが、「完全試合」を観てみたい、という気持ちの延長線上にそれはあるような気がする。
(*)余談ながら、西鉄・田中 勉投手の名を、快挙の達成者として記憶している人も、少ないのではないだろうか。今では、日本プロ野球史を語るうえでその名が出るのは、もっぱら「黒い霧」事件の登場人物として、「幻の300勝投手」池永正明に、その野球人生を終わらせることとなる札束を手渡した男としてである。
(**)日本プロ野球史上最初のノーヒットノーランが沢村であるのは有名だが、二度目のそれも同じ沢村だったのは、案外知られていないのではないか。ちなみに、沢村以外で初となるノーヒッター第二号はスタルヒン。
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