あと16日。

2002年1月4日
両親が、姉夫妻に買ってもらったパソコンで、さらにインターネット環境もととのえてもらったらしい。
WindowsXPでIE6か……

くそ、うらやましくなんかないぞ!
(ヒント:うらやましい)

姉から、
「メール送受信のテストしたいから、あんたのメールアドレス教えて」
と言われるが、いくつか持ってるそのどれをとっても、HNの「橋川 桂」にちなんだもので、ちょっと口ごもってしまう。

ちなみに、姉はこのHNを知っている。

ま、結局橋川のを教えなくても、何とかなったらしいんだけどね。

「ニコライ盗撮」で、ようやっと問題のロシア皇太子襲撃事件(大津事件)のくだりまで読み進んだ。
学生時代が遠い昔の人は、歴史か公民の授業をよく思い出してみよう。
習ったよね、大津事件?
まだ習ってない現役の学生の人は、よく覚えておくと良いかも知れない。

ロシアとの関係悪化を恐れる日本政府は、犯人の津田三蔵を極刑に処すことで、同国をなだめようとしたが、時の大審院長(今で言う最高裁長官)児島惟謙は、
「傷害罪の最高刑は無期懲役である」
と政府の干渉をはねのけ、司法権の独立を守りぬいた。

初めてこの逸話を聞いた中学生の時には、児島の姿にかなり萌え(萌えなのか?)たものだが、
「立法・行政を牛耳る薩長閥への、司法界の大半を占める他藩閥の反骨の姿勢でもあった」
とかいう裏話をあとで聞かせられて、ちょっと萎えた。

ところで、このニコライ皇太子。
知っている人には知っての通り、やがて帝政ロシア最後の皇帝となる運命にある人である。
革命で倒された君主というのは、それだけで暗君のイメージでばかり語られてしまうものだが、案外そうでもなかったりする。
ニコライ2世にしても、
「けして暗愚な支配者ではなかったものの、その想像力を超えて大衆は飢えていた。それ以上に時代は激動していた」
といったところが正解らしい。
ソ連邦解体後の、反動とも言うべき偶像化には、当人も地下で苦笑するかもしれないが。

徳川慶喜とかを見ても思うのだが、先君たちの負債を一気に支払わされる最後の君主は不運と言うしかないよなぁ。

作中に描かれる、市井の写真屋に記念撮影にやって来たり、前夜遊んだ舞子たちに窓から手を振ったりする、気さくな「ニコライ皇太子」の姿から、そんなことを思ってみたりした。

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